Self-schema歌詞
慌ただしい日々
完璧を求める心
何を恐れているのか
「拒絶」や「無視」「見捨てられ」のない「安心」を「権利」を求めても
それは得られなかった
それどころか
本当に欲しいものから遠ざかった思い切って踏み込んでみればいい
そうすることで未来は開ける慌ただしい日々
安心を求める心
何を評価されたのか
相手の求めるものを与えること「権利」を求めても
それは得られなかった
それどころか
本当に欲しいものから遠ざかった「承認」は思いがけず得られる
返報性で権利は得られる全てのものは永続しない
変わり続ける世界
それが真実
だから軽く持っているくらいがいい「権利」「承認」「基準」
それが苦しめるならば
少し軽くしてみる
それらの負担を必ず戻ってこられる
AWAKE ALIVE 「Self-schema」より
「安全」「安心」の場所は必ずある
「見捨てられ」と「剥奪」を超える
無理に輝こうとしなくていい
私は私
2025年6月9日にAWAKE ALIVEがリリースしたシングル「Self-schema」
この曲は私自身の内面と向き合う中で生まれた。
そして同じ悩みを持っているのは自分だけではない。その気づきから、今を生きる人々に向けたメッセージが詰まった曲となった。
Self-schema(自己スキーマ)とは
Self-schema(自己スキーマ)とは、個人の信念、経験、一般的分類の集合体であり、長期的で安定した記憶である。人は生きていく中で、さまざまな感情や思考と関連しながら個人の諸側面についての自己スキーマを形成していく。それは意識できるものもあれば、無意識下で形成されていくものもある。
この自己スキーマは人間が人間として生きるうえで、さらには私が私として生きるうえで大切になるものだが、往々にして悪循環にも繋がりやすい。
認知行動療法ではこの自己スキーマに焦点を当てて、不適応で悪循環を引き起こしているスキーマの把握や修正を行うことがある。
何を恐れているのか|早期不適応的スキーマ
社会に出て仕事に追われる日々の中で、私は完璧を求める思考にとらわれがちな時期があった。
その背景には「恐れていたもの」があった。ここで恐れていたのは、生きてきた中で、子供のころから恐れなどの強い感情を抱いていたり、ケアをされなかった部分で自分なりの対処を求められたものだった。
このような人生早期に形成され、後の人生に慢性的な不適応を起こしうるスキーマを「早期不適応的スキーマ」という。
自己スキーマを軽くしていくのが、種々の心理療法であるが、特にこの「早期不適応的スキーマ」に焦点を当てたものを「スキーマ療法」ともいう。
スキーマ療法では18個の「早期不適応的スキーマ」があるとされている(オススメの専門書のリンクを掲載していますので興味のある方はぜひそちらをご参照ください)。
私はスキーマ療法は書籍や研修で勉強した程度だが、その考えは私の臨床観だけでなく、人生観にも大きな影響を与えた。
私が幼少期から知らず知らずのうちに形成していた恐れに気づくことができた。そして、それが普遍的なものであることに気づけたのだった。
「権利」は返報性、「承認」は思いがけず
自分の権利を主張したくなることはないだろうか。
だが、その「権利」というものはそれを得ようとしてもうまくいかないことが多い。
なぜならば、「権利」というのは返報性(相互性)で成り立つからだ。
返報性とは、相手の求めるものに応えることやその姿勢をいう。
相手の役に立つものがないと相手も「権利」を認めてくれにくい。
一見すると当然のことなのだが、私たちは自分の利益を最優先するあまりそれを忘れがちになる。
それと同じように「承認」も思いがけず得られる。
何かを認められたくても、それが思うようにいかないことは多い。
それでも、その瞬間に一生懸命に取り組むことで、自然と結果が得られている。
それが真実なのだ。
全てのものは永続しない
どんなものも流れゆく。
常に一定のものはない。
それは自分の心や自分を取り巻く周囲にも当てはまる。
「私」を苦しめている思いも、「私」が追い求めているものも、「私」が手放したくないものも、全ては永続的なものではない。
だからこそ、軽く持っているくらいでいい。
それが私たちを苦しみから救ってくれることもある。
私を苦しめるものは
振り返ると私を苦しめてきたのは、「権利」や「承認」そして、完璧を求める「基準」だった。
それらは生きていくうえで必要なものでもあったのだが、自分を苦しめるほど過度にそれらが働いていたのならば、それらを軽く持ってみてもいいのではないか。
それは絶対的な永遠のものではないのだから。
「拒絶」や「無視」「見捨てられ」を救う場所
生きていく中で、私を苦しめてきたものは他にもある。
それは、「拒絶」「無視」「見捨てられ」「剥奪」であった。
そこからの解放には「安全」「安心」の場所がとても役に立った。
それはマインドフルネスによってもたらされたといえる。
マインドフルネスで得られる安心の場所は、どんな時にも戻ってこられる安心の場所であった。
その場所が、私の心の苦しみを解き放ってくれた。
それは、苦しみが無くなったということではない。
今でも私は自分を苦しめる考えを持ってしまうことがある。
それでも、それを持ちながらも、より建設的に生きることができるようになったと感じている。
「私」は「私」を叶える場所
この曲は「私」は「私」という歌詞で締めくくられる。
等身大でありのままの自分をみつめる。そして、それを受け入れることで「私」を認めることができる。
その「私」を認めるための場所が、必ず戻ってこられる「安全」「安心」の場所であると私は考える。
そして、その場所は誰もが手に入れることができる。
無理に輝こうとしなくていい。
生きているだけでもいい。
そんな優しさを自分に向ける。
それは逃げではない。「私」が幸せを感じて生きるための方法なのである。
セルフコンパッションとマインドフルネスの実践は自然と自分自身の「早期不適応的スキーマ」を見つめる実践になりやすい。 |