この記事の要約
- マインドフルネスの実践によって慈悲の心(コンパッション)が育つことについて解説した記事です。
- マインドフルネスの実践により「今この瞬間に戻る」という体験を得ることができ、そこから自分への思いやり(セルフ・コンパッション)を感じることができるようになります。
- セルフ・コンパッションは、自分への思いやりだけでなく、他者や生命全体への思いやりにもつながると考えられています。
- セルフ・コンパッション尺度には「共通の人間性」という下位尺度があり、これは、自分に起こるネガティブな出来事は誰にでも起こりうる普遍的なものであると認識することで、自分への思いやりだけでなく他者への思いやりも高まるというものです。
- 仏教の慈悲の瞑想(メッタ瞑想)も、自分自身の幸せを願った後に、親しい人、そしてすべての生きとし生けるものの幸せを願うように、セルフ・コンパッションが他者への思いやりに広がっていくことを示唆しています。
- コンパッションの高まりは、うつや不安の軽減、ストレスや身体症状の緩和、自尊感情の向上など、様々な効果をもたらすという研究結果が出ています。
- マインドフルネスとコンパッションは相互に関連し合い、相乗効果で高まりあうと考えられます。
- 筆者は、マインドフルネスの実践を通して、「価値判断を離れて何度でも戻っていい」という優しい場所が自分の中に存在することに気づき、それが自分への思いやりにつながったという経験をしています。この経験は、マインドフルネスの実践がコンパッションを感じることにつながるという、多くの先人の経験や文献とも一致するものです。
- 自分への思いやりを経験することで、マインドフルネスの実践に対するモチベーションが高まると筆者は述べています。
- 筆者は、マインドフルネスの実践に必要な「ありのままを受け入れる」という土台となる部分がコンパッションであると考えています。
はじめに
今回はマインドフルネスの実践で得られるものの中で「慈悲の心(コンパッション)」に焦点を当てて、私自身の経験も交えながら解説をしたいと思う。
前回の記事ではマインドフルネス実践で得られる「今この瞬間に戻る」という体験がどのような効果をもたらすのかを書いた。
私はマインドフルネスを通して、自分への思いやり(セルフ・コンパッション)を感じる経験をした。
そこには、マインドフルネスの「価値判断を離れて戻れる今この瞬間」という存在がとても大きかったと実感している。
↓前回の記事はこちら
コンパッションとマインドフルネスの関係
コンパッション(compassion)とは日本語では慈悲のほかにも、思いやり、哀れみなどと訳される。
この思いやりの心を自分に向けることをセルフ・コンパッションとよぶ。
マインドフルネスとコンパッションの関連は深く、セルフ・コンパッション尺度(Neff2003,有光2014)の下位尺度には「マインドフルネス」というものが存在する。つまり、マインドフルネスが高まると、セルフ・コンパッションも高まるということだ。
セルフ・コンパッションは自分への思いやりだけなのか?
セルフ・コンパッション尺度には「共通の人間性」という下位尺度がある。
これは私に生じているネガティブな事象が一般の人にもみられる普遍的なものだという認識を示す。
多くの人が思い悩むことが私自身にも当てはまると感じられ、お互いが支えあっているという認識を持つことで自分への思いやりが増すというものであるが、これは自分だけでなく他者や生命全般への思いやりにも通ずるものといえる。
また、仏教で行われる「慈悲の瞑想(メッタ瞑想)」は『私自身の幸せ』の後に、『私の親しい人の幸せ』『生きとし生けるものの幸せ』と続くことが一般的である。
こうしたことからも、セルフ・コンパッションが高まるということは、自分への思いやりという意味合いだけでなく、周囲の他者や生命すべてへの思いやりということにも広がっていくと考えられる。
そのため、本記事ではセルフ・コンパッションとコンパッションを同義のものとして扱っていくこととする。
コンパッションの高まりはうつや不安の軽減やストレス、身体症状の緩和、自尊感情の向上など様々な効果が多くの研究で示唆されている。
どちらが先なのかという議論はいったん脇に置いておき、マインドフルネスとコンパッションは相互に関連しあい、相乗効果で高まりあっていくものと考えられる。
そして、私自身の経験だけでなく、多くの先人の経験や文献でも、マインドフルネスの実践がコンパッションを感じることに繋がったということが伝えられている。
マインドフルネスはどのようにしてコンパッションを高めたのか
それではどのようにしてマインドフルネスがコンパッションを高めていくのだろうか。
これについては私自身の経験をベースに述べていきたい。
私はコンパッションや慈悲の瞑想というものは、本格的なマインドフルネスのトレーニングを受ける前から概念自体は知っていた。
なんとなく「思いやりでしょ」「生きとし生けるものの幸せを願うんでしょ」
という認識で、たしかに大切ではあると思っていたが深くは学んではいなかった。
それが変わったのはMBSRのプログラムを受け始めてからだった。
ホームワークのボディスキャン瞑想の最中にまったく集中が維持できなかったことがあった。
私は価値判断を離れる、何度でも戻るという基本こそ頭では理解していたものの、いざやってみると、価値判断はしてしまうし、何度も注意がそれてしまう自分に嫌気がさしていた。
そんなときに、「価値判断をしない」というマインドフルネスの基本が頭をよぎり、ふと気が付いた。
「価値判断を離れて何度でも戻っていい」
こんなにも優しい場所が自分にあったのか。
日々の中で、こんな優しい場所に戻れるということほど、自分のためになることがあったのか。
ここに戻ってくることこそが、自分への思いやりなのではないか。そう気が付いたのだった。
前回の記事にも書いた、何度でも戻れる場所という安心感に私が救われたのだった。
この経験と似たようなことを、「マインドフルネスそしてセルフ・コンパッションへ」という書籍の中で、著者のクリストファー・K・ガーマー氏はこのように述べている。
気づきに関しては、妨げになる気持ちに目を向けない注意の使い方(どのような気持ちがあっても繰り返し呼吸に立ち返る)を知っておくと、感情が激しく乱れているときに大きな強みなるでしょう。
マインドフルネスそしてセルフ・コンパッションへ クリストファー・K・ガーマー 著 伊藤絵美 訳
コンパッションの高まりはマインドフルネスの実践を促進する
こうした自分への思いやりを経験すると、私のマインドフルネスに対する動機づけは高まっていった。
私は「ただ生きている。そのことに気づく」マインドフルネスの実践に必要な、「ありのままを受け入れる」という土台となる部分がコンパッションではないかと考えている。
土台は何もないときには認識することは難しい。でも、それは確実にある。
私は自分に注意を向けたときに、自分の中に存在する優しい世界に気が付き、大きな支えを得たのだった。
参考文献
有光 興記(2014)セルフ・コンパッション尺度日本語版の作成と信頼性,妥当性の検討, 心理学研究 85(1)50-59
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