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自分と現実を照らす灯|セルフ・コンパッションとマインドフルネス

マインドフルネス

自灯明法灯明

仏教における自灯明法灯明とは、ブッダが死の間際(涅槃)の際に弟子たちに遺した言葉が仏教用語として現代に残ったものである。

自らを拠り所(灯明)とし、法を拠り所(灯明)としなさい

常に修行を怠らない。常に無常を忘れない。自分自身と向き合うことと、この世の真実(法)を正しく見るということ。
修行を通して内側から現れてくる灯と、教えに表現される真実の灯の両面を大切にし、拠り所として生きなさいというブッダのメッセージが自灯明法灯明である。

自灯明法灯明とセルフ・コンパッション、マインドフルネスの関係

自分という拠り所と法という拠り所。
これらはセルフ・コンパッションとマインドフルネスと深く共通していると私は考える。

自灯明|セルフ・コンパッション

自分という灯は修行に励み、内側から灯される明かりである。
修行の中では自分の至らなさなどを突き付けられることもあるかもしれない。
それでも、灯を消さないためには、自分を受け入れるということ、自分の醜い部分も優しく包み込むということが大切となる。
セルフ・コンパッションは至らない自分自身にも優しさを向ける実践である。
自分の全存在を受けいれる優しさを自分自身が持てたとき、自分の内側から明かりが灯される。

自分の内側から溢れるもの|問いと意図

自分の深い思いに光を当てる、なぜここにいるのかという問いを自分にすることで、なぜ自分が今ここでこの瞬間に生きているのかという意図が思い起こされる。
人類学者で僧侶でもあるジョアン・ハリファックス老師が提唱している、コンパッションを中核にして主に対人援助職の自己探求やセルフケアを目的とするプログラムであるGRACEでは、「自分がなぜこの場所で支援を行っているのか」という、支援者の動機を探ることの重要性が説かれている。
また、MSC(マインドフル・セルフ・コンパッション)の開発者の一人であるクリストファー・ガーマー博士も、コンパッションの実践により、自分が今何を必要としているかという気づきを得ることの重要性を示している。
自分の内側から溢れるもの、それはまさしく自分という灯であり、自分の人生を照らし、指針を示してくれるものとなり、また、他者の心を照らすものにもなり得る。

法灯明|マインドフルネス

ブッダが最も強調した教えは「無常」である。
無常というのはこの世の真実。これこそ法である。
そして、この法を忘れずに生きよと弟子たちに説いたのだった。
マインドフルネスの実践は、この「無常」を認識することである。
常に変わりゆく自分自身、身体感覚や感情、思考といったものを観察する。
また、周りの環境にも意識を向けると、何一つ固定化されたものは無いという気づきを得ることができる。
マインドフルネスはまさしく、法を灯とせよというブッダの教えを体現する実践となっていく。

思いをとどめるsati

マインドフルネスの語源となったパーリ語の「sati」には思い出すという意味がある。
法として伝えられたこの世の真実をしっかりと自分の中にとどめる。
そのためにはことあるごとに、法を思い出すこと、そして、法に基づいた修行の実践が欠かせない。
こうした法を思い出す「sati」が絶えず私たちを照らしてくれる光となる。

自分と現実の狭間で

ここまで自灯明法灯明とセルフ・コンパッション、マインドフルネスの関係を解説した。
ここからは、両者がどのように関連しあっているかについて述べていこうと思う。

自分を土台にして法に光を当てる

マインドフルネスの実践による気づき(法)は私たちにこの世の真実を伝えてくれる。
その土台として、大切になるものが自分への気づきである。
マインドフルネスの実践では、私たちが見たくない醜い部分や至らない部分についての気づきが得られることもある。
そうした部分が自分にあることを受け入れることが、法(現実)を受け入れるための土台として機能する。
つまり、マインドフルネスの実践の土台としてセルフ・コンパッションが必要ということである。

法を土台にして自分に光を当てる

マインドフルネスがセルフ・コンパッションの土台になることもある。
この世の真実という法への気づきは、時として自分自身の在り方にも気づきを与えてくれることがある。
セルフ・コンパッションでは「共通の人間性」への気づきが重視される。
何かしらの苦しい状況や自身の弱みは私だけの苦しみではなく、周囲の他の人も同じような苦しみを持って生きていることに対する気づきである。
その気づきを得るためには現実を正しく見る「法」の実践が大切となる。
共通の人間性やそこから生まれる優しさを自分に向けるときに、この世の真実という法が土台となり、私たち個人が照らされるのではないかと私は考える。

セルフ・コンパッションとマインドフルネスの相乗効果

私たちは、自分と法、セルフ・コンパッションとマインドフルネスの両者の間で、行ったり来たりしながら生きているといえる。
マインドフルネスの土台としてのコンパッションの存在に気づくことがある。それは、自分にとっては受け入れがたいような部分が自分にも存在することを受け入れていくときに正しい現実に気づくこともある。
そして、マインドフルネスを土台にして、共通の人間性への気づきや自分へのやさしさに開かれる体験もある。
セルフ・コンパッションとマインドフルネスは互いに相乗しあい、正しい実践の方向性を示してくれるといえるだろう。

鳥の両翼のように

マインドフルネスによってありのままを受けいれることができれば、自己批判が和らぎ、誰もがみんな同じなのだという共通の人間性に気づくための深い理解へとつながる。
同じように、自分に優しさを向けることができれば、つらさや苦しさといった否定的な感情が和らぎ、それをマインドフルに受けとめやすくなる。

マインドフル・セルフ・コンパッションプラクティスガイド セルフ・コンパッションを教えたい専門家のために
クリストファー・ガーマー、クリスティン・ネフ(著)富田拓郎(監訳)山藤奈穂子(訳)

マインドフルネスとセルフ・コンパッションは鳥の両翼のようなものだと、クリストファー・ガーマー博士は語る。
鳥が飛ぶためには左右の翼が必要だ。
自灯明と法灯明、セルフ・コンパッションとマインドフルネスは、私たちの人生にはどちらも欠かせない大切な要素であるといえるだろう。

参考文献
クリストファー・ガーマー、クリスティン・ネフ(著)富田拓郎(監訳)山藤奈穂子(訳)マインドフル・セルフ・コンパッションプラクティスガイド セルフ・コンパッションを教えたい専門家のために 星和書店
池埜聡. (2021). 位相的観点から見通すマインドフルネスの新展開: 社会正義の価値に資する方法として. 心理学評論, 64(4), 579-598.
公益財団法人仏教伝道協会 ブッダのおしえ「お経」のことば
第7回日本GRACE研究会年次大会資料


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