この記事の要約
- フロー状態とは 心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、スキルとチャレンジのバランスが取れた活動をしている時に、集中力が高まり、自己意識が消失し、世界と一体感を覚える状態のことです。 スポーツで「ゾーン」に入る状態などが例として挙げられます。
- フロー状態になる条件
- 明確な目標があること
- 行動に対する迅速なフィードバックがあること
- 自分自身のスキルとチャレンジのレベルのバランスが取れていること
- 注意力をコントロールできていること
- フロー状態と幸福感 フロー状態自体は幸福感をもたらすものではなく、フロー状態後の振り返りの際に幸福を感じます。 つまり、「回想のなかでだけ、幸せになれる」のです。
- フロー状態とマインドフルネスの共通点
- 時間感覚から解放され、今この瞬間に生きている感覚
- 意図的に対象に注意を向けること
- 高いスキルとチャレンジが求められること
- 自己へのとらわれからの解放
- フロー状態を体験し、幸福を感じることの重要性 記事では、フロー状態を意図的に作り出し、体験することを通して、人生を豊かにし、後悔のない生き方につなげることができると述べています。
はじめに
色々な雑念が消え、時間があっという間に過ぎていく。
そんな時間を振り返った時に我々は幸福を感じることが多いのではないだろうか。
この時間を忘れて没頭する感覚を「フロー」「フロー状態」「フロー体験」と呼ぶが、そもそもこのフローはどのような条件で発生するのか、そしてどのように我々に幸福をもたらすのか。
また、この集中状態はマインドフルネスとも関連が深い。
本記事ではそれらの背景や関連について取り上げていく。
フロー状態とは
「フロー」とは心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した概念であり、目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、スキルとチャレンジのバランスが取れた活動をしている時の集中力の高まりや自我の感覚の消失と世界との一体感を表した状態とされている。
アスリートが高い集中力を発揮する場面を想像してもらうと理解しやすい。一般には「ゾーン」に入るという表現もよくされる状態だろう。
この体験はなにも特別な人だけに訪れるものではなく、我々にもごく一般的にみられる現象である。
何かに夢中になった時、楽しい時を過ごしたとき、私たちは自分の存在や時間感覚も忘れて、その瞬間に没入する。その仕組みを活用し、簡易的にフローを得やすくしているのが昨今のゲームであるともいえるだろう。
フローの条件
フロー状態になるにはいくつかの条件が必要となる。
フローの提唱者であるミハイ・チクセントミハイの書籍、フロー体験入門(大森弘監訳)を参照に、その条件を探っていく。
明確な目標
フローに至るには明確な目標が必要となる。スポーツやゲームには明確な目標が存在する場合がある。それは「勝利」「クリア」という目的であったり、目の前の最適解に取り組むことでもあるかもしれない。
目標は我々の生活の中で仕事やプライベートの様々な場面で立てているものでもあるだろう。
迅速なフィードバックがある
行動に対しての迅速なフィードバックがあることもフローを得やすくするための条件となる。
このフィードバックは、目標に向かってどのように進んでいるのかのプロセスであったり、行動の結果として得られることもある。
明確な目標とフィードバックがあるからこそ、我々は行動の方向性を決めることができる。
スキルとチャレンジのバランス
フローには適度なスキルとチャレンジのレベルが必要となる。
自身の持つスキルを発揮し、成功できるギリギリのチャレンジ(課題)に挑むときに、人はフローを感じやすくなる(ヴィゴツキーの発達の最近接領域とも関連しそう)。
このスキルとチャレンジを考えるときにはそれぞれの不足している状態のことを考えるとより理解がしやすい。
スキル低 | スキル中 | スキル高 | |
チャレンジ高 | 不安 | 覚醒 | フロー |
チャレンジ中 | 心配 | コントロール | |
チャレンジ低 | 無気力 | 退屈 | くつろぎ |
スキルが高いがチャレンジのレベルが低い場合は「コントロール」や「くつろぎ」となる。
これは悪い状態ではないが、フローに至るためにはチャレンジのレベルを高める必要があることが分かる。
チャレンジのレベルが高いがスキルが低い場合は「覚醒」や「不安」となる。
「覚醒」のレベルで動けていればいいのだが、スキル不足で「不安」が生じている場合は心身に問題が生じる。
この場合は自身のスキル、能力を伸ばしていくことや、それを発揮できる状況を作っていくことが有効となる。
そして、スキルもチャレンジも低い場合には「心配」や「無気力」が生じる。
これは我々の心身には大きなストレスとして体験される。どうすることもできない八方ふさがりの状況で生じる「無気力」は、学習性無力感とも呼ばれ、その無気力状態が様々な状況に及ぶこともある。
注意力の統制
こうした目標や行動に対するフィードバック、スキルやチャレンジといった条件が揃うと、我々は目の前の状況に対して意図的に注意を向ける必要が生じる。
この注意のコントロール感がフローの最後の条件となる。
自身の能力を最大限発揮できるギリギリの状況に集中すること。そうすると、ほかのことを考える余裕はなくなり、自分や時間の感覚を忘れる。その瞬間と一体化し、すべての行動が意図的であるものの自然に生じていく感覚が生まれる。
これこそがフロー体験である。
フローと幸福感
フローを得ることは幸福と関連していることは想像に難くない。
だが、フローと幸福は少し変わった関係性にある。
チクセントミハイはこう述べている
フローを体験している時、われわれは幸福ではない。
なぜなら幸福を体験するためには、自分たちの内面の状態に集中しなければならず、それは注意力を仕事や手元から遠ざけることになるからである。
この言葉が表しているのは、フローによってもたらされる幸福感は、フロー状態のときには感じられないということだ。
たしかに、存在も忘れるほど集中している状態では幸せを感じようがない。
では、どのタイミングで幸福を感じるのだろうか。
それは、そのフロー状態の後だ。フローであっという間の時を過ごした後に、そのことに対する振り返りをしたときに我々は幸福を感じ取ることができる。本の中でも述べられているが、「回想のなかでだけ、幸せになれる」ということなのだ。
フローとマインドフルネスの関係
ここまでフローとはどのようなものか、フローと幸福感について概観した。
私はこのフローという概念はマインドフルネスと多くの共通点を持ち、
フローとマインドフルネスには共通点があるのではないかと私は考えている。
今この瞬間に存在する
自分も時間も忘れるほど、行動に没頭するフローは、強烈に今この瞬間に生きているといえる。
マインドフルネスも同様に、今この瞬間に意識を向ける実践である。
どちらも時間感覚から解放され、今この瞬間を最大限に感じ、生きる。
それがマインドフルネスとフローの共通点であるといえる。
意図的な注意
フローには意図的な注意が必要となる。
マインドフルネスも「意図的に今この瞬間に注意を向ける」という定義がある。
どちらも意図的に対象に注意を向けるという点で共通した要素を持っているといえる。
高いスキルとチャレンジが求められる
フローには高いスキルとチャレンジが求められる。
これはマインドフルネスの実践にも当てはまると考えている。
マインドフルネスはどこでも、どのタイミングでも実践を行うことができる。
その実践は「意図的に今この瞬間に注意を向ける」というシンプルなものだが、それがなかなか難しい。
私たちは簡単にほかのことに気持ちがそれてしまう生き物だ。
どんなに集中しようとしても、ふとした時に違う思考が生まれそれに引き込まれてしまう。
それは人間として生きているのであれば、仕方のないことなのだ。
今この瞬間に注意を向けるということは高いスキルとチャレンジが永遠に求められている。そういえるのではないだろうか。
自分を忘れる
フロー状態に入ると我々は自分の存在を忘れるほどその瞬間に没入する。
この忘我の状態はマインドフルネスが目指す自己へのとらわれからの解放ということとも共通していると感じる。
この自分からの解放は、価値判断をしないというマインドフルネスの原則とも重なる。
フロー状態にいるとき、我々には価値判断を行えるほどの余裕は残されていない。
フロー状態はマインドフルネスを体現している状態でもあるといえるだろう。
様々な点からフローとマインドフルネスの共通点を述べてきた。
フローを得るために生きるということはマインドフルネスに生きるということに繋がり、また、マインドフルネスによりフローがもたらされるということもあり得るだろう。
もう一つ挙げるとすれば、チクセントミハイの著書には仏教やヒンドゥー教に感銘を受けていることが述べられている部分があることも、両者が非常に近い関係にあることが伺える。
まとめ|人生を豊かにする時間の使い方
フローについて知ること、そしてマインドフルネスとの共通点を知ることで、有意義な時間の使い方というのが分かってくるのではないだろうか。
フローの条件である目標やスキル、チャレンジをどのように設定するか。そして、そこにどのように向かっていくか、どのようなアクションを起こしていくかによって、人生の質が変わってくるといえるだろう。
そこに、意図的な注意を向け、人生の一瞬一瞬に向き合うことで私たちはフローを体験し、その瞬間を最大限に生きることができる。
それは私たちの最高の幸福にもつながっているのではないか。
最後にチクセントミハイの言葉を紹介したい。
人生に素晴らしいことをもたらすのは、幸福というよりも、フローに完全に熱中することである。
幸福はフローの後に感じられるものだ。
一度きりの人生ならば、思い切り何かに没頭できる時間を可能な限り多く持ちたい。
それが人生の最期にも後悔しない生き方に繋がっていくのだろう。
参考文献
M.チクセントミハイ(著)大森弘(監訳) フロー体験入門 楽しみと創造の心理学 世界思想社
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