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忘れた傘に思うこと|良寛と忘れ物と愛すること|すでに持っている宝物

人生について

傘を忘れる

出先で傘を忘れた。
その日は雨だったが、帰るころには雨がやんでいたので、傘立てに差していたことを忘れていたのだった。
思い出したころにはもう戻れない状況。
気軽に行けない距離なので後日取りに行くということも叶わない。
傘自体は大したことない。千円もしなかった傘だ。
だが、3年間雨風をしのいでくれたので、それなりの思い入れはあった。
やはりこのような予期せぬ別れは心に響く。

所有する苦しみ

禅では所有すること、執着することは苦しみを生むとされる。
持つことはいつか別れがあることを意味する。
モノもお金も地位も名声も。そして人生さえも、いつかは手放さなければいけない。
別れは心にダメージを与えるものになり得る。
私は傘であっても、その痛みはそれなりに大きなものであった。
その日は傘を忘れた自分を責める気持ちや、傘に対しての申し訳なさで溢れていた。

誰かを愛してしまったなら いつか失う痛みに耐える
その日は必ずやってくるものなのでしょう

GARNET CROW 「Yellow Moon」

国宝に学ぶ持ち続ける意味

持ち続けることが意味を持つこともある。
国宝と呼ばれるものは歴史の中で持ち続けられたものばかりだ。
古ければ良いというものでもないが、やはり長い歴史の中で人々に大切にされてきたものには、多くの物語があり、それだけのエネルギーを背負っている。
流れゆく時の中で、持ち続けるということはとても大変なことである。
だからこそ多くの人々の宝物になるのだろう。

「明珠在掌」

「明珠在掌」みょうじゅたなごころにあり
これは、大切なものはすでにその手に持っているという意味の禅語である。
私たちは「もっと」「さらに」という無限の欲望を持っている。
だからこそ、今目の前の価値に気づかないことがあるが、実際は目の前にあるものこそが最も価値のあるものなのだ。
身近にある宝物への気づきが人生を豊かにしてくれる。
忘れた傘についてもそうだった。
なんともない傘だったが、大切なものであったことは間違いない。
それは失って初めて気づくもの。
別れはいつも身近な大切なものを教えてくれる。

忘れた傘のその後

その後、たまたま近くに行く予定があり、時間もあったので忘れた傘を取りに行ってみた。
傘を忘れてから1ヶ月以上の月日が流れていた。無くなっていても仕方ないと思いながら傘立てを見ると、なんと同じ場所に置かれたままになっていた。
あまり人が来ない場所だったということもあるかもしれないが、1ヶ月以上そこに居たのだった。
もともと3年以上使っている傘である。柄の部分は傷だらけ、先端部分は欠けている。
そんな傘でも私のことを待ち続けていたと思うだけで、特別なもののようにも思えてきたのだった。

忘れ物と良寛

良寛(りょうかん)は江戸時代、新潟で活躍した禅僧だ。
現代でも高く評価されている良寛の詩にこんなものがある

鉢の子を わが忘るれども 取る人はなし 鉢の子あはれ
(だいじな鉢の子を私は道ばたに忘れてきたが、だれも取っていく人はいなかった。その鉢の子のいとしいことよ)

松本 市壽(著)良寛 旅と人生

良寛は忘れ物が多い人物だったという。
ある日、托鉢で使う大切な鉢の子を忘れてしまった。
探し回っても見つからなかったが、ある場所に置き忘れていると教えてもらい取りに戻ると、鉢の子は誰にも取られることなく待ってくれていた。その鉢の子に、愛しさを覚える。という詩である。
この鉢の子に対する感情と、私の傘に対しての感情はとても似ている。

私に忘れられた傘。しかし、誰もそれを取らなかった。
同じ所で待ち続けた。孤独だっただろう。
それに耐えた傘が愛おしくなったのだった。

失う悲しみも忘れるほど、全力で愛する

失うことは喪失体験となり、心の傷になることがある。
喪失の痛みから解放されるには、様々な道があるだろう。
そのひとつは、寿命が尽きるまで、その対象と向き合い続けることではないだろうか。
もちろん別れは悲しい。しかし、全力で愛しぬいた先には後悔も未練もない、喪失感よりも思い出が勝る。
そんな感覚が持てると、共に時を過ごせたことへの感謝が芽生える。
そして、別れは永遠の思い出に変わっていく。
それが、最高の愛の形ではないだろうか。

命果てるまで この心が枯れるまで
強くもっと強く 君を抱きしめたい

ゆず 「命果てるまで」

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