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成長について考える|人生という冒険がもたらす幸福とは

人生について

「人生は冒険である」
あまりにも使い古されたセリフである。
だが、この言葉はとても的を得ており、私たちの人生は冒険であるという言葉に納得する人は多いのではないだろうか。
冒険を通して私たちは成長する。
成長により、私たちは冒険をさらに進めていき、新たな世界を開拓していく。
そして、誰一人として同じ人生を歩むものはいない。

成長が持つ意味

私たちにとって成長はどのような意味を持つのだろうか。
成長により、私たちは視点の深まりや広がりを経験することがある。
最近とても興味深い文献を目にした。
そこでは成長はを「垂直成長」「水平成長」「飛び地的成長」の3種類に分類し紹介をしていた(参照元は参考文献に記載)。
それを私なりに再解釈して紹介しようと思う。

垂直成長

ひとつのことを極めていく。そうすることで私たちは高みへたどり着く。
こうした成長を垂直成長という。
まっすぐに上に向かっていく成長は分かりやすい。
英語でも「成長する」という意味でGrowing upという言葉がある。
レベルが上がる、技術が上がる、スキルが上がる。
ひとつの場所で成長を積み上げていくことで、さらなる高みを目指すことができる。
また、この垂直的成長により、私たちはより高い視点から物事を見ることが可能となる。
それにより、私たちはより高い視点から物事を俯瞰することができるようになる。達観するという言葉にも通ずるだろう。
そして、さらなる高みへ歩みは続いていく。
垂直的成長に終わりはない。

水平成長

垂直成長と別の方向での成長として水平成長が挙げられる。
水平成長は、違う分野での成長を意味する。
隣り合っている関連領域に関する成長だと考えると理解しやすいだろう。
私たち心理学も様々な関連領域がある。
それは精神医学や神経科学、社会福祉学、あるいは人類学、哲学、宗教学といったものもあるだろう。
一般企業でも部署移動などで違う分野の仕事を経験することがある。
そうした今までの領域を飛び出していくことで、違う世界を知ることができる。これを水平成長と呼ぶ。
それはまるで、RPGでステージごとに違う島を冒険するようなものである。
私たちは違う世界を知ることで、自分だけの世界地図を形作っていく。
それはまさに私という人生の冒険である。

飛び地的成長

この垂直成長と水平成長の先にあるものが飛び地的成長である。
見果てぬ地平に見えるもの。
今までは見えなかったが、垂直成長により高く、そして水平成長により遠くまで世界を見渡せるようになると初めて見えるものがあったりする。
それはまるで、上空から島々を見下ろしているイメージも近い。

飛び地的成長は上空から島々を見下ろしているイメージに近い。高く、遠く飛ぶことでより多くの島々を捉えることができる。

上空から様々な島を見渡せるようになると、魅力的な島を見つけることやそこにどのように降り立って、歩みを進めるのかということもイメージがしやすくなる。
その土台として、垂直成長と水平成長が大切となる。
成長は決して一つの領域にとどまるものではない。
垂直成長と水平成長の結果として、私たちは初めのうちは想像もできなかった人生を生きることがある。
私自身もはじめは心理とは全く違う領域で仕事をしていた。
だがふとしたきっかけで心理の道に進み、心理士になってからもまさか自分が独立をしているなんて、学生時代や心理士になりたての頃は思ってもいなかったのである。
まさに、成長、経験により世界が広がり、新しい挑戦ができるようになったということだろう。
飛び地的成長により、私たちは世界の誰も見たことのない島を見つけることも可能である。
そして、そこにたどり着くための航路も自分で開拓することができるのだ。
それはまさしく「冒険」といえるだろう。

同じ場所に戻ってきたときに見える世界が違う現象

人生の中では、かつていた場所に再び戻るということもありえるだろう。
そのとき、その人の目に映る世界は、以前そこにいた時とは違うものになっている。
様々な経験を通して成長をし、違う世界を知ったからこそ、より広い視野で全体を見渡せるようになる。
それは、霧がかって見えていなかった飛び地の島が見えるようになる状態ともいえるだろう。
RPGでは一度ストーリーをクリアしても2周目、3周目と再スタートを行うことがある。
2周目以降も基本的には同じストーリーではあるものの、そこでは違う視点でその世界を見ることが可能になっているのではないか。
2周目のメリットとしては「最高難易度を選べる」「裏ボスと戦える」「真のエンディングを見られる」などがある。そう、多くのゲームは2周目以降を行うことを想定して作られているのだ。
もちろん、一度きりの人生で最初から再スタートはできないが、特定の事柄に絞れば、成長した私で原点に帰ることは可能である。
様々な冒険をして、再び同じ場所に戻ることで、私たちは真の高みを目指すことができるようになるのかもしれない。

人生からの問いに答える|足を踏み入れる勇気

ホロコーストを体験した精神科医V.フランクルは著書の中で「私がそれをしなければ誰がするのだろうか」という言葉と共に、人生から何を問いかけられているかということが大切であると述べ、それを人生のコペルニクス的転回と呼んでいる。
フランクルは精神科医としての基礎に収容所での体験があったからこそ、歴史的名著「夜と霧」を書き上げ、今も歴史に名を刻む存在となった。
そして、そこには飛び地に降り立つという勇気も存在していたのではないかと私は考えている。
人生の経験から見えた、遠くに確かにある未踏の島に降り立ち、足を踏み入れる。
それはとても危険を伴うことでもあるが、それこそが生きる意味をもたらしてくれるともいえる。

その場その瞬間に生き、そこで成長を得ることが幸福な人生である

人生からの問いに答えるということは、垂直成長、水平成長、飛び地的成長をし続けるということではないだろうか。
出会いは突然であり予測できない。
まさか私が心理をやっているなんて、まさか私が独立しているなんて。私自身も想像していなかった。
その場その瞬間に全力で生きる。そうすることで自ずと成長は積み重ねられ、新たな地平は開けていく。さらにその瞬間に求められている方向へ歩みを進める。
それは人生の問いに答えることにも繋がっていく。
「私の人生」というものは、私を意識せずに夢中になった結果いつの間にか得られているものなのだろう。
そして、フロー状態ともいわれる没頭状態で生きる今この瞬間こそが私たちの幸福なのだ。
つまり、成長とは幸福である。ただ、これも幸福を意識しているうちは手に入らない。幸福とは非常に難しいものなのだ。

終わりのない成長|心理士という生き方

今回紹介した3種類の成長を続けていく、それは私たち心理士にとっての終わりなき自己研鑽というものと重なる。
心理士はそれを生業としているうちはずっと成長が必要な職種である。
成長は相談に来られた相手からも、書籍や論文といった文献からも、人生の様々な経験からも得ることができる。
そうした終わりなき旅を歩める心理士という生き方を選んで良かったと思えるし、それを生業にできることには感謝しかない。
私が冒険を通して得た成長をすこしでも社会に還元できるように、また終わりなき成長という冒険を歩んでいこうと思う。

まとめ

人生は冒険である。その言葉が的を得ているように、私たちは人生という冒険にぶっつけ本番で挑んでいる。
冒険の中では様々な経験を通して私たちは成長をしていく。
成長には垂直成長、水平成長、飛び地的成長の3種類があり、それらを経験することで、より広い視野で物事を捉えることができるようになる。
そして、人生の問いに応え、その場その瞬間に生きることで成長は積み重ねられていく。
それはやがて幸福に繋がっていく。
生きていてよかった。そう思える人生はこうした成長を通して形作られていく。

参考文献
企業価値向上経営.com「成長すること」の3つの観点
https://www.keieikikaku-shitsu.com/report_marketing/sales_strategy/236.html
V.フランクル(著)山田邦男・松田美佳(訳)それでも人生にイエスと言う 春秋社


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