フローと持続性|時代を超えた信頼のために必要なもの

マインドフルネス

京都国立博物館『法然と極楽浄土』にて、普段は秘仏とされている国宝「綴織當麻曼陀羅」を見た。8世紀に作れらた巨大な曼陀羅はまさしく圧巻であった。
その綴織當麻曼陀羅は、奈良時代、一人の女性が一夜にして織り上げたという伝説が残されている。
もちろん、これは伝説の話なので現実かどうかは分からない。
それでもこの伝説は多くの人の心を惹きつけ、現代まで語り継がれている。
そこには私達の人生を豊かにする知恵も溢れている。
綴織當麻曼陀羅とその伝説が教えてくれる生き方について解説していきたい。

国宝「綴織當麻曼陀羅」

奈良県にある當麻寺に奈良時代から伝わる国宝「綴織當麻曼陀羅」がある。
とても希少な綴織という技法と曼陀羅の精緻さそして背景にある物語すべてが国宝にふさわしい至宝である。
普段は秘仏として一般公開はされていないものだが、浄土宗開宗850年記念事業『法然と極楽浄土』において、特別公開されることとなった。
本作品は浄土宗開宗前から伝わるものだ。
それがなぜ、浄土宗との関連が深いのかというと、曼陀羅に描かれたものと関係がある。

綴織當麻曼陀羅に描かれたもの

綴織當麻曼陀羅に描かれているのは「観無量寿経」である。
そのことに鎌倉時代の浄土宗の僧で法然の弟子でもあった、証空が気がついた。
当時の浄土宗は「南無阿弥陀仏」の念仏だけで救われるという簡便さが人気を博す一方で、その正当性を批判されることもあった。
証空は奈良時代に成立した當麻曼陀羅に浄土宗の根本教義である「観無量寿経」が描かれていることで、浄土宗の教えの正当さの根拠としたのだった。
結果的に綴織當麻曼陀羅は多くの人の信仰を集め、現代まで大切に維持されてきた。
変化に批判はつきものである。だが、その正当性を示し続ける努力をすることで乗り越えられることも教えてくれる。

綴織當麻曼陀羅に伝わる伝説|中将姫伝説

綴織當麻曼陀羅を語る上でもう一つ大切なのが、曼陀羅の制作に関する伝説である。
その伝説が中将姫伝説(ちゅうじょひめでんせつ)である。
内容は次の通りだ。

  • 子宝に恵まれなかった貴族が寿命と引き換えに娘を手に入れた。それが中将姫だった。
  • 幼き中将姫の前に白狐が現れ「称讃浄土経」を授けた。中将姫は毎日欠かさずその読経を行い拝んだ。
  • 5歳で母を亡くした中将姫。父は中将姫のために継母として照夜の前を迎える。
  • しかし、照夜の前は中将姫に対し恨みを持つようになり、殺害を計画する。
  • 殺害計画は実行された。照夜の前の家来に刀を向けられた中将姫は毎日欠かさず拝んでいる「称讃浄土経」を読ませてほしいと頼み読経した。それを聴いた家来は深く感激し、殺すことなくやがて中将姫は屋敷に戻ることになった。
  • 中将姫はその後出家を決意。當麻寺にて尼僧となる。
  • 中将姫は、生きているうちに極楽浄土を見たいという願いを抱いていた。ある日、老尼の教えに従い、集めた蓮の糸で一夜にして當麻曼陀羅を織り上げる。それを見届けた老尼は阿弥陀如来の姿を現し、13年後迎えに来ると約束した。
  • 約束通り13年後である29歳のとき、阿弥陀如来に迎えられ中将姫は生きながらにして極楽へと旅立っていった。

中将姫伝説が教えてくれること

中将姫伝説は多くのことを教えてくれる。それはどのようなものであるか。見ていこうと思う。

一心不乱に目の前の仕事に取り組む|フロー体験

中将姫伝説で一番の見どころは綴織當麻曼陀羅を一夜にして織り上げたことだろう。
一夜にして精緻な曼陀羅を織り上げる。それには時間も自身の存在も忘れてしまうほどの没頭状態が必要だったであろう。
この状態はフロー状態とよばれる心理状態とも似ている。
フローはチャレンジとスキルがほどよいバランスの状態であるときに発生するとされる。
フローに入ると時間の感覚や自身の存在の感覚が消えていき、その瞬間の行為に没頭する状態となる。
その状態の時には感情すらも意識されない。しかし、あとから振り返った時に、フロー状態の時の幸福を感じることができる。
そして、このフロー状態のとき、我々は最高のパフォーマンスを発揮し、最高の結果も得られやすい。
中将姫も圧倒的な集中力で綴織當麻曼陀羅を織り上げた。それは時代を超えて人々の信仰を集めるものとなったのだ。中将姫のエネルギーが曼陀羅に乗って今も届いているということでもあるだろう。フローの時に発揮されたパワーは時代を超えるものとなる。

現代まで残る信仰|フォロワーの大切さ

中将姫伝説とそこで生まれた綴織當麻曼陀羅は現代まで信仰を集めている。
それは當麻寺の伝統行事である「練り供養」にも表れている。
練り供養は「来迎会」ともいわれ、中将姫が極楽浄土に旅立つときを再現したものであり、国の重要無形文化財にも登録されている。
この練り供養は菩薩面を身に着けた聖修が橋を渡り、中将姫を迎える鮮やかな様子に目が向きがちだが、浄土宗の教えを忠実に再現し、三次元で可視化していることにも価値があるものである。
その背景には現代までその伝統を紡いできた支持者、フォロワーの存在が重要だったはずである。

夢の叶え方

中将姫には生きたままで極楽浄土を見たいという願いがあった。そして、その願いは叶えられることとなった。
私たちも日々生きている中で様々な願いを持つ。
夢は必ずかなうとはいえない。だが、叶えるためには夢を持つ必要があることは疑いようがない。
そして、中将姫が一夜にして綴織當麻曼陀羅を織り上げたフロー体験と、中将姫の幼少期の毎日の読経といった継続した実践が実を結び、夢が叶えられたのではないかと私は考える。
継続的な実践は日々淡々と行うものだ。それを継続し続けていくことはとても難しい。
それでも着実に積み上げたものはしっかりと身についていき、ふとしたときに自然な形で外に現れる。
それが他者の心を打つものにもなっていく。
中将姫は幼少からの毎日の実践が命の危機を救った。それだけでも伝説に値することであるが、それは私たちも取り組むことが可能なことでもあるのだ。

フローと持続性の間で

中将姫が一夜にして曼陀羅を織り上げたフロー状態は素晴らしいものを生み出す原動力となる。
そして、もうひとつ、中将姫が幼少期から継続していた習慣もその成功に役立ったことが、中将姫伝説からは分かる。
法然の弟子であり、浄土真宗の開祖である親鸞は代表作「教行信証」を何度も推敲していた。それは数十年単位の作業であり、ライフワークでもあった。日本で最大の宗派である浄土真宗はこの親鸞の最善を尽くす精神で発展したといえるだろう。
フローのようなその瞬間に発揮される瞬発力と持続的な努力、どちらにも価値があり、その両者が揃うことで後世に残る功績が生まれるのではないか。

自分以外に誰がやるのか|使命感

中将姫は様々な場面で天の声を聴いている。
幼少期の「称讃浄土経」を授けられた体験、蓮の糸を集めそれを織り上げるように命ずる声。
圧倒的な使命感がそこにはあるのではないかと感じる。
ホロコーストを体験した精神科医V.フランクルは著書の中で「私がそれをしなければ誰がするのだろうか」という言葉と共に、人生から何を問いかけられているかということが大切であると述べている(人生のコペルニクス的転回)。
私たちは往々にして人生において何をするのかを模索するのだが、本来は逆であることを中将姫伝説もフランクルも教えてくれる。
今この瞬間に何を人生は問いかけているのかという視点に立つことで、私たちは時代を超えるものを作り上げることができる。

まとめ

現代にいたるまで多くの信仰を集めてきた綴織當麻曼陀羅の歴史とそこにある伝説を振り返り、どのように信仰を集めてきたのかを概観してきた。
信頼を得るのは行動の積み重ねである。行動を起こし続けていくことでフォロワーを集める。その繰り返しこそが、大きな成果をもたらしてくれる。さらには、持続的な努力とフロー体験のような没頭状態、使命感が背景にあること大切であろう。
使命を感じ、行動を起こす。没頭して持続できる取り組みをしたのちに結果が生じ、さらにあらたな使命に目覚め、行動を起こす。批判を浴びたら正当性を示す。
その積み重ねが、国宝となり、伝説となった。
それは私たちにも無縁の話ではない。私たちの行動もいずれ伝説になるかもしれないのだ。
綴織當麻曼陀羅と中将姫伝説は、人生で大切なことを教えてくれている。

参考文献
V.フランクル(著)山田邦男・松田美佳(訳)それでも人生にイエスと言う 春秋社
特別展 法然と極楽浄土図録
中将姫の伝説|當麻寺奥院
http://www.taimadera.or.jp/about/chujyohimestory.html


コメント

タイトルとURLをコピーしました